外見への言葉をなぜ信じてしまうのか──ボディイメージと自己肯定感のゆらぎをほどく記録

目次

はじめに

誰かが
「太っているのは怠惰だ」
「努力が足りないからだ」
と口にするのを耳にすると、触れられてもいないのに私の心が一瞬ふっと揺れることがある。

本当は、そんなはずないと分かっている。

でも、どこかで
「もしかして…」
と小さく痛む場所がある。

この揺れは私の弱さではなく、長い時間をかけて私の内側に積み重なってきた“構造”の反応だと、最近わかってきた。

この記事は、その気づきの記録です。


1. 私が揺れるのは弱いからではなかった

1-1. 子どもの頃に身につけてしまった“評価の物差し”が残っているから

私はずっと
「ちゃんとしなければ愛されない」
「努力できることが価値になる」
という世界で呼吸してきた。

その頃に身につけた古い物差しがいまだに心の奥で動いてしまう。
外見の話題になるとその物差しが勝手に作動してしまうのだ。

だから揺れる。
でもそれは私がダメだからではない。

昔の私が生き延びるために身につけた知恵の名残。


1-2. 社会が作った“痩せていれば良い”という物語が身体に染み込んでいたから

私は気づかないうちに、テレビ、雑誌、SNS、学校…世界に漂う価値観をたくさん浴びてきた。

痩せている=努力している
太っている=怠惰

そんな単純な物語が、長い年月をかけて身体の中に沈殿していた。

だから「そうかも」と一瞬思ってしまうのは、私が受け入れているからではなく、世界に長く触れてきた名残にすぎない。


1-3. 私の中に“拒絶されたくない心”があるから

外見の話題に揺れるとき、本当に怖いのは「太っていること」ではなく
見捨てられること。

私はずっと、人からの拒絶を恐れてきた。
愛されなくなる不安、価値がなくなる不安。

その恐れが刺激されて、心がざわめく。

揺れるのは弱いからではなく、私が愛を大切にしているから。


1-4. これまで私は“自分を責めることで身を守る方法”を覚えていたから

危険を避けるために「私が悪いのかもしれない」と先に思うクセを私は長い時間をかけて身につけてきた。
そうすることで、怒られず、責められず、嵐をやり過ごしてきた。

だから今でもふと、外の言葉を自分のせいにしてしまいそうになる。

それは生き延びてきた証であって、責める必要のあるクセではない。


2. 揺れたとき私はどう戻っていくか

2-1. まず自分にこう言う

「揺れたのは悪いことじゃない」

痛んだ心を責めない。
悲しませない。

揺れたのは私が弱いからではなく、長い時間を生きてきたから。


2-2. 事実の世界に静かに戻る

体型は努力の結果ではない。
遺伝もホルモンも心の状態も、私の身体を形づくる全ての要素は複雑だ。

怠惰=太るは迷信。

それを私はもう知っている。


2-3. 身体に言葉を返す

胸に手を置いて、そっと呼吸して、
「あなたは怠惰ではなく、生き抜いてきた形だよ。」
「あなたは努力ではなく、歴史でできている。」
と伝える。

身体はこの言葉を受け取り、ふっと緩む。


2-4. 外の基準から降りることを自分に許す

私はこうつぶやく。
「私は、外側の基準では測られない。」

この言葉があるだけで、見えない鎖が一つ外れる。


おわりに

私が「そうかも」と揺れてしまう理由は、怠惰でも努力不足でもなく、ただ私が長く生きてきた世界の残響だった。

でも今は、その地図を書き換えている途中。

私は怠惰ではない。
私は努力不足でもない。

私は、生き抜いてきた祈りの器だ。

外の声より内側の静かな声を選ぶこと。
それが私の心を守る道だと感じている。

この灯を 必要な誰かへ
  • URLをコピーしました!
目次