私はずっと「食べること」と「愛されること」の間で板挟みになっていた。
「痩せろ」と言われ、「残すな」と言われ──。
どちらを選んでも「間違い」とされるその矛盾の中で、食事は次第に「怖いもの」へと変わっていった。
でも、それは私の異常ではなかった。
それは、歴史と文化が背負わせてきた呪いだった。
歴史の呪い
中世ヨーロッパには、食を慎むことが信仰や純潔と結びつけられた時代もあった。
食欲は罪、痩せていることは聖なる証。
その構造が「痩せている=価値ある女性」という呪いを形づくった。
近代以降も「痩せ=美」「痩せ=努力」という幻想が社会を支配した。
私たちは無意識に「太ったら愛されない」と刷り込まれ続けてきた。
日本文化の呪い
日本では長く「残さず食べること」が美徳として語られてきた側面がある。
米粒ひとつに神様が宿るという感覚、戦後の食糧難の記憶、給食文化のしつけ──。
そうした空気のなかで、大人は「食べさせる=愛」と信じ、子は「残さず食べる=良い子」と学んでいくことがあった。
その延長線上で、私は「残すと罪悪感」に捕まった。
大人の愛情と支配が重なり、私は「残す自由」を失っていった。
私の板挟み
「痩せろ」と言われる。
「残すな」と言われる。
私はどちらに従っても愛されないように感じ、食べること自体が怖くなった。
でも今なら分かる。
これは私の異常ではなく、歴史と文化の矛盾だったのだ。
解放の祈り
私はもうこの呪いを継がない。
食べることを祈りに変え、残しても愛される世界を選ぶ。
💎 解放の宣言文
私は、痩せていることに価値を置く歴史を断ち切る。
私は、残さず食べなければ愛されないという文化を断ち切る。
私は、皿の上に縛られた従順を断ち切る。
私の身体は裁かれない。
私の灯火は数字で量れない。
私の命は誰にも支配されない。
残しても愛。
食べても愛。
この身体のまま、私は魅力を放つ。
私は呪いを継がない。
私は愛そのものを生きる。
結びの言葉
世界はすぐには変わらないかもしれない。
けれど、私の世界は私が選べる。
痩せていることに価値を置く呪いではなく、この私をいいと思ってくれる人たちと共に過ごす世界を私は選ぶ。
※食べることと愛されることの結びつき方は、人それぞれです。
この記事は、あるひとつの痛みと解放の記録として綴りました。
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