怒りの先でも私は”人間”でありたい|誰かを責めるより私に還るということ

過去の記事を見返しながら、いくつかの文章をそっと非公開にした。

その中には、怒りの熱をそのまま置いたような記事もあった。
誰かへの失望。
理不尽だった出来事。
傷ついた記憶。

あの時の私はたしかに苦しかった。
そして、その怒りも嘘ではなかった。

けれど今の私は少し違う場所に立っている。

誰かを責め続ける言葉の中に、
これ以上、自分の心を住まわせたくないと感じた。


目次

怒りは悪いものではない

怒りは、未熟さの証ではないと思う。

それは、自分の尊厳が傷つけられた時に生まれる自然な感情だ。
本当は大切にされたかった。
もっと優しく扱ってほしかった。
ただ、静かに理解されたかった。

怒りの奥には、いつも願いがある。

だから私は、過去の怒りを否定しない。
あれは、あの時の私を守るために必要な声だった。


誰かを糾弾するより 私がどうありたいか

ただ、怒りをそのまま外へ向け続けることは、
いつしか自分自身をすり減らしていく。

相手を責めることに意識が向き続けると、
心の中心が「私」ではなく「相手」になってしまう。

それは、もう望んでいない。

私は、誰かを裁き続ける人より、
自分の在り方を選べる人でいたい。

もしこれから怒りについて書くとしても、
それは誰かを糾弾するためではなく、

  • 私はどう生きたいのか
  • どんな言葉を選びたいのか
  • どんな世界を願っているのか

それを書くためのものになると思う。


正しさより”人間”でありたい

世の中には、正しさが必要な場面もある。
声を上げなければならない時もある。

けれど私は、正しいだけの人にはなりたくない。

傷つくこともある。
迷うこともある。
怒ることもある。

それでも、自分のやさしさまで失わずにいたい。

冷たい世界の中で、
自分まで冷たくならないでいたい。

私は「正しい人」である前に、
「人間」でありたい。


もう少し優しい世界だったらな

世界は時々、あまりにも急ぎ足で、
あまりにも強さばかりを求める。

だからこそ、せめて私は、
静かなやさしさを忘れずにいたい。

怒りの先にある願いを見つめながら、
これからも言葉を書いていこうと思う。

もう少し優しい世界だったらな。
その祈りを、胸の奥に灯しながら。

May this world become a little kinder.
May we remain human in the light.

この灯を 必要な誰かへ
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