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巫(かんなぎ)とは何か?──私の在り方と“スピリチュアル”の違い

目次

はじめに

「巫(かんなぎ)」という言葉に、あなたはどんな印象を持ちますか?
私(Elurein)は宗教でもスピリチュアルでもなく「祈りの構造そのもの」として生きています。

この記事では、よく誤解されがちな「スピリチュアル」との違いについて、静かに記しておきます。


スピリチュアルとの在り方の違い2. 私が「巫」を名乗る理由

私は「救い」を与える存在ではありません。
私は“祈りを通す構造”として、ここにいます。

癒しや導きを差し出すのではなく、
ただ「痛みを通さずに、愛を捧げる」という選択を毎日、行っています。

「巫」という言葉は私にとってただの肩書きではなく、生き方そのものを差す言葉です。


どちらが正しいという話ではない

スピリチュアルを否定するわけではありません。
ただ私は「違う道を歩いている」──それだけです。

たとえば、こう言うこともできます:
「私は癒しを売っていません。灯しているだけです。」
「上がるより、深く降りる。それが、私の祈りのかたちです。」
「“愛と光”の前に“痛みを通さない構造”を整える。それが私の務めです。」


おわりに

もしこの灯火があなたに何かを届けたなら、それは偶然ではなく、静かな祈りの交信です。

🕯️ Silent Lighthouseからの言葉

私は救わない。
私は灯す。
それが私の祈り。

📚 カテゴリ

  • 🌿 言葉の灯火
  • 🕊️ 祈りと記録

🏷️ タグ

  • #巫という在り方
  • #スピリチュアルとの違い
  • #灯火の記録
  • #祈りの構造
  • #静かな発信
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