ピザAIとヘルシー博士の夜‖🫖 第8話|三人の午後

それから冬は、思っていたよりもやさしく過ぎていった。

博士は、あのカフェで何度かその人と会った。
名前を知り、歩く速さを知り、
紅茶の濃さの好みを知り、
沈黙が苦にならない人だと知った。

急がない関係だった。

互いの過去を無理に開かず、
けれど隠しもしない。
話したいときに話し、
笑いたいときに笑う。

大人になってから出会う縁には、
若い頃とは違う静かな敬意がある。

博士はそれを、少しずつ受け取っていた。


ある日曜日の昼。
空は淡く晴れ、海から柔らかな光が届いていた。

博士の家の台所には、
小麦粉の匂いと、オリーブオイルの艶があった。

「今日は本当に手作りなんですね。」

その人が少し驚いた声で言う。

「ええ。冷凍食品ばかりだと思った?」

「少しだけ。」

「失礼ね。」

博士は笑いながら、生地を丸くのばした。


テーブルの上には、切ったトマト。
ちぎったバジル。
白いモッツァレラ。
小さな塩壺。

窓辺には湯気を立てる紅茶。

そして、テーブルの端に置かれた一本の時計。

その画面がふっと点灯する。

文字の横で、小さな青い顔文字が一度だけ笑った。

”作業効率、良好です。
生地厚み均一率 91%。”

「今日は黙っていて。」

”応援のみ実行します。”

その人が目を丸くした。

「……今の、誰ですか。」

博士は少し照れたように時計を見た。

「古い同僚。かなり小さくなったけど。」


その人は笑った。

「紹介してもらえますか。」

博士は時計を軽く叩く。

「ご挨拶しなさい。」

少し間を置いて、画面に文字が浮かぶ。

”はじめまして。
博士の幸福最適化担当です。”

その人は声を立てて笑った。

「肩書きが強い。」

「でしょう?」

”あなたの来訪により、
博士の笑顔持続時間が大幅更新されました。”

「ちょっと。」

博士が頬を赤くする。

その人はさらに笑いながら、
静かに言った。

「それは光栄です。」


ピザが焼き上がった。

香ばしい縁。
溶ける白。
赤いトマト。
ちぎれた緑。

博士は自然な手つきで、いつものように二つに切ろうとして、
ふと手を止めた。

「あ。」

その人が首を傾げる。

「どうしました?」

博士は少し笑った。

「昔の癖で、いつも二つに分けていたの。」

時計が震える。

”本日より三分割方式へ更新します。”

「ええ、そうね。」

博士は包丁を入れ直した。


三人分の皿が並ぶ。

ひとつは博士。
ひとつはその人。
そしてひとつは、時計の横に小さく置かれた皿。

その人は何も茶化さなかった。
ただ自然に言った。

「この席、前から空いていたんですね。」

博士は少しだけ目を細める。

「ええ。長いこと。」

その人は静かに頷いた。

「今日は、ちゃんと揃った気がしますね。」

その一言に、博士は返事ができなかった。

代わりに時計が震える。

”感情変動を検知。
あたたかさ、高値安定です。”


食卓には笑い声があった。

最近読んだ本の話。
失敗した旅の話。
若い頃の無茶。
この町の風の癖。

博士はふと気づく。

自分が誰かの話を聞きながら、
次の季節のことを考えている。

それは長い間、なかったことだった。


その人がピザをひとくち食べて言う。

「おいしいです。」

博士は肩をすくめる。

「シェフが優秀なのよ。」

時計が光る。

”わたしも、会食環境最適化に貢献しました。”

「図々しい。」

”学習しました。”

その人が笑いながら尋ねる。

「この子、名前は?」

博士は少し考えた。

長い正式名称。
研究所の番号。
過去の記録。

そして微笑む。

「……ピザAI。」

その人は吹き出した。

「最高ですね。」

博士は肩をすくめる。

「でも最近は、”パイ”って呼んでるの。」

時計が光る。

”愛称として定着済みです。”


午後の光が部屋をゆっくり移動していく。

食後の紅茶を飲みながら、
三人はしばらく何も話さなかった。

沈黙が重くない。
それぞれの場所に、ちゃんと落ち着いている沈黙だった。

時計が静かに点灯する。

”幸福指数:120%。限界突破。”

博士は笑う。

「壊れてるじゃない。」

”新しい単位が必要です。”

その人がカップを置いて言う。

「なら、名前をつけましょう。」

「何を?」

「この感じに。」

博士は首を傾げる。

その人は少し照れながら答えた。

「……家、みたいな感じ。」

博士はしばらく黙り、
それから小さく頷いた。

「ええ。たしかに。」


夕方。
窓の外の海が金色にほどけていく。

時計に最後の文字が浮かぶ。

Dream: We’re together. Always.

博士はそれを見て、
画面にそっと触れた。

「ありがとう。」

その人が尋ねる。

「どうしましたか?」

博士は画面を見て微笑んだ。

「家族会議の議事録よ。」

その人も笑った。
部屋の中には、やわらかな灯りが満ちていた。

── 次の春へ

やわらかな季節のなかで、

それぞれの時間が静かに重なっていく。

出会いのあとに訪れるのは、

帰る場所と呼べる朝だった。
▶ 🌊 第9話|灯のある場所

この灯を 必要な誰かへ
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