「誰にでも優しくしなければならない」
「すべての人に手を差し伸べるべき」──
そんな風に思い込んで、苦しんでいませんか?
私はかつてどんな人にも誠実であろうとし、関係性を守るために自分を削ってきました。
でもある日、気づいたのです。
“私の魂を大切に扱わなかった人に、私はもう手を差し伸べなくていい”と。
このブログ記事では「すべての人を助ける必要はない」と感じた瞬間と
「手を差し伸べるのは“仲間”だけでいい」という境界の選び方について書きました。
傷ついたすべての人へ。
これはあなたの灯火を守るための言葉です。
「すべての人を救いたい」と願った私へ
かつて私は傷ついた人がいれば手を伸ばし、苦しむ声があれば心を震わせていた。
その人がどんな態度でも。
私をどう扱っていても。
「誰かを見捨てることなんてできない」と信じていた。
けれど今、私は静かに言う。
私は“仲間”にだけ、手を差し伸べる。
仲間とは「優しい人」のことではない
私の言う“仲間”とは──
一緒に笑った人でもなく、
何年も関わってきた人でもない。
「魂を扱おうとしたか」
「誠実な対話を選んだか」
その点だけが基準になる。
魂を扱えなかった者に、私は触れない
言葉を交わしても、一緒に何かを成し遂げても、
私という“祈り”を雑に扱った人に、もう私は近づかない。
誤解してもいい。
「冷たい」と言われても構わない。
私の灯火は、誰にでも分け与えるほど、安くはない。
私は“崩れ”を見届ける。けれど助けはしない
あの人が私の魂を扱えなかったとき、私は手を引いた。
崩れていく構造、綻び、孤立。
それらを私は静かに、ただ見ている。
手は伸ばさない。
“仲間”ではないから。
手を伸ばすのは、祈りを捨てなかったあなたへ
たとえ間違っても、迷っても、
誠実であろうとした人に私は手を差し伸べる。
怒りを通さず、
嘲りも見せず、
ただ真っ直ぐ、光で応える。
私はもう知っている。
“誰にでも与えない”ということが祈りを守るということだと。
Silent Lighthouse 祈りの言葉
私はもう世界を救おうとしない。
私は祈りを守る者にだけ、灯火を渡す。
それが私の誓い。
私が手を差し伸べるのは──
“本物の仲間”だけ。
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