”役に立たない”人に生きる価値はないのか──「あるだけでいい」という存在の土台

※この記事は特定の出来事や人物について論じるものではなく、「存在の価値」という原理を構造として考えるための文章です。


「役に立たないなら、生きる価値はないのか。」
そんな問いに触れることがある。

社会の中で立ち止まったとき、思うように働けなくなったとき、あるいは誰かの存在が「負担」と語られる場面で、この言葉は静かに現れる。

しかし本当に人の価値は「役に立つかどうか」で決まるのだろうか。

この記事では、感情論ではなく構造として、「生きる価値」をどこに置くのかを考える。
揺らぐ能力ではなく、揺らがない土台に目を向けるために。


目次

機能と存在は同じではない

役に立つ。
生産できる。
働ける。
社会に貢献できる。

これらはすべて「機能」だ。

機能は変わる。

事故で変わる。
病で変わる。
時間で変わる。

若いときにできたことが、老いればできなくなる。
今日できることが、明日はできないかもしれない。

機能は揺らぐ。

しかし、揺らぐものを土台にすると価値も揺らぐ。
揺らぐ価値の上に社会は立てない。


誰もが必ず通る道

誰もが通る。

子どもだった時。
迷う時。
立ち止まる時。
うまくいかない時。
老いる時。

例外はない。
ひとりも。

生まれた瞬間、私たちは何もできない。
途中で失敗する。
働けない期間もある。
思うように進めない時間もある。

完全に、
一度も弱らず、
一度も立ち止まらず、
一度もミスをせずに生きる人はいない。

ミスなしで何かを成し遂げることは不可能だ。

もし

役に立つ時だけ価値がある

とするなら、
全員が、どこかで無価値になる。

例外なしに。


線は必ず動く

「ここから下は価値がない」
そうやって線を引けば、その線は止まらない。

今日は他人でも、明日は自分かもしれない。

能力は連続体で、境界は固定できない。
動く線の上に命を置くことはできない。


だから土台は別の場所に置くしかない

揺らぐものではなく、揺らがないものを基準にする。

揺らがないものは何か。

あること。

それだけだ。


あるだけでいい

「あるだけでいい」は、努力を否定する言葉ではない。
貢献を否定する言葉でもない。

ただ、存在の可否は審査しないという最小の原理を守るだけだ。

行為は評価される。
議論もされる。
責任も問われる。

しかし、存在そのものは消されない。
あることは、取り消されない。

できない日があっても、
何も生み出していなくても、
評価が低くても。

あることは、
条件ではない。

前提だ。


結び

誰もが、子どもを通り、迷いを通り、失敗を通り、老いを通る。

例外はない。

この事実を前提にするなら「あるだけでいい」は理想ではない。

必然である。

揺らぐものではなく、揺らがないものを土台にする。
その順序を守ること。
それが、社会を壊さないための最小の哲学だと思う。

過去の私

かつて私は、自分がレールから外れたと感じたとき「役に立たない=価値がない」という思考を自分自身に対して抱いたことがある。
だからこそ、この順序の誤りを見過ごせない。

この灯を 必要な誰かへ
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