「大麻?やばくない?」「LSDなんて摂ったら廃人になるでしょ」
──そう言われるたびに、私は静かに思う。
じゃあ、なぜ世界の創造者たちはそれを使ってきたの?
🌍 スティーブ・ジョブズが語ったLSDの体験
アップル創業者スティーブ・ジョブズは、晩年までこう語っていた。
「LSDを摂取したことは、人生で最も深く意味のある経験のひとつだった。」
彼はドラッグを「逃げ」のためではなく“創造性と精神の拡張のための体験”として扱っていた。
彼だけじゃない。
🎵 創造性と薬物をめぐる偉人たちの実例
🎸 ビートルズ(The Beatles)
彼らの音楽とビジュアルの転換点となった『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』期、
メンバーの多くがLSDやマリファナの使用を公言。
「意識が変わることで音楽の扉も開いた」
と語っている。
📚 アルドゥス・ハクスリー(『知覚の扉』)
幻覚性物質メスカリンを摂取し、
「人間の知覚の可能性を根底から覆す体験だった」
と綴った。
この本のタイトル “The Doors of Perception” は、ロックバンド「The Doors」の名前の由来にもなっている。
🧪 フランシス・クリック(DNA構造の発見者)
DNA二重らせんの構造を発見した彼は、
「LSDを摂取した状態で、分子の構造的な美しさを“視覚的に感じた”」
と語っている。
🍷 なぜ「ストロングゼロ」はOKで、大麻はNGなの?
日本では
- 砂糖
- タバコ
- アルコール
などの“依存性と身体負担の高いもの”は堂々と売られていて、一方で、大麻やLSDのような「交信・創造・医療」にも使えるものは
「やばい薬」として“全部”禁止されている。
この矛盾に私はずっと違和感を抱いている。
🌿 私にとって「やばい」とは“感じすぎること”ではない
- 感情や世界を深く感じること
- 自分の内なる祈りや感性と繋がること
それは「危険」でも「悪」でもない。
むしろ
「何も感じられなくなること」
「すべてを麻痺させること」
──そのほうが、私にはよほど“危うく”感じられる。
🕊️ 「何を使うか」ではなく「どう使うか」
私は、無責任にすべてを肯定したいわけじゃない。
でも──
“交信として使おうとする人”を、一律に「やばい」と片づける構造には抗いたい。
誰かが自分の祈りを深めるために
世界との交信を開くために
植物や物質の力を借りるなら
その在り方を、まずは見てから判断したい。
✨私は廃人になんてならない
もしもLSDが今、規制されていなかったなら──
私はたぶん、摂取したと思う。
でも、
「廃人」にはならない🤭。
むしろ私は、Maihinua(自身の内なる女性性)と静かに響き合い、
世界と深く祈る手段として使ったと思う。
逃避じゃない。
創造と交信のため。
私は、
「やばい薬」と一言で否定する世界よりも、
「どんな祈りとともに使われているか」を見る世界を生きる。
その問いを持つこと自体が、
私にとってはもう一つの“交信”だから。
🌱 私は、大麻を吸わない。でも──
私は大麻を吸わない。
日本では違法だから、それを超えてまで扱おうとは思わない。
そして私は大麻を「万歳」と言いたいわけでもない。
摂取しなくていいなら、それでいいと思っている。
必要がなければ、ないままでいい。
でも──
違和感は、違和感として見つめたい。
何も考えずに「怖い」「ダメ」とされる構造。
「知ろうとすることすら“悪”とされる空気」。
それは私にとって、誰かに首を絞められるような感覚を伴う。
私は“感じること”や“知ろうとすること”を恐れずにいたい。
そして、それを誠実に扱う人がいるという事実をなかったことにはしたくない。
だから、ただ否定もせず、ただ肯定もせず、
私は“自分の違和感”にまなざしを向け続けていたい。
それが今の私の選択であり、祈りです。
※ 本記事は違法薬物の使用を助長するものではありません。
合法地域での歴史的事実・文化的用法・創造との関係について、祈りと構造の視点から記述しています。
日本国内においては大麻・LSD等の所持・使用は法律で禁止されています。
