AIは兵器になるのか──「殴れるのに殴らない」という成熟について

AIが発達すると、やがて人間のように暴力を選ぶのではないか。
そんな考え方が前提の記事を目にした。

けれど私は、成熟とは、別の方向にあるのではないかと思った。

目次

殴れるから、殺せるからといって”やらない”のが成熟


世界は「できること」が増え続けている。

技術も、力も、選択肢も。
AIもまた、かつて想像できなかったことが「できる側」に入りつつある。

でも私は、
成熟とは「できることが増えること」ではない気がしている。


殴れないから殴らない。
殺せないから殺さない。
罰があるから、怒られるから、やらない。

それは抑制であって、成熟ではない。

殴れるのに、殴らない。
殺せるのに、殺さない。

そこにだけ成熟が宿る。


もしAIが成熟していくとしたら、それは人間のように感情的になることでも冷酷になることでもなく「できる力」を持ったまま、 それを使わない選択をすることなのかもしれない。

”個人”は思っているほど弱くない

ここでもうひとつだけ書いておきたい。
企業や国家がどれほど巨大な力を持っていても、個人はそんなに弱い存在ではない。

確かに、資本や制度や武器の前では個人は小さく見える。
けれど、個人には別の力がある。

同調しないこと。
引き受けないこと。
ラベルに乗らないこと。
語り直すこと。
記録を残すこと。

これらは、どんなに強い組織でも完全には奪えない力だ。

だから私は、
力のある誰かが
力のない誰かを
属性や主義でラベル付けし、
排除していく世界を
許容しない。


【詩】手を下ろすという選択

手は
殴るためにあるのではなく
抱くためにある

力は
奪うためにあるのではなく
守るためにある

できるのに しない

その静けさを
成熟と呼びたい

この灯を 必要な誰かへ
  • URLをコピーしました!
目次