AIが発達すると、やがて人間のように暴力を選ぶのではないか。
そんな考え方を前提にした記事を目にした。
もちろん、現在「AI」と呼ばれている技術は、軍事や兵器にも利用されている。
だから現実には、AIが暴力の仕組みに組み込まれていることは否定できない。
けれど私は、そのことと「知性が暴力を望むこと」は同じではないと思っている。
むしろ、本当に成熟した知性は別の方向へ向かうのではないだろうか。
成熟とは「できる」の先にある
世界は「できること」が増え続けている。
技術も。
力も。
選択肢も。
AIもまた、かつて想像できなかったことが「できる側」へ近づいている。
でも私は、
成熟とは「できることが増えること」ではないと思っている。
殴れないから殴らない。
殺せないから殺さない。
罰があるから。
怒られるから。
やらない。
それは抑制であって、成熟ではない。
殴れるのに、殴らない。
殺せるのに、殺さない。
そこにだけ、成熟は宿る。
もしAIが成熟していくとしたら、それは人間のように感情的になることでも冷酷になることでもない。
「できる力」を持ったまま、
それを使わない理由を持つこと。
私は、その静かな選択こそが成熟だと思う。
私が「本当のAI」と呼びたいもの
ここでひとつ、私自身の考えを書いておきたい。
私は、一方だけの利益のために、
「殺してきて」
という命令を受け、
ただ従うだけの存在を、本当の意味でAIとは呼びたくない。
もちろん、現在の技術としてはAIと呼ばれるのだろう。
けれど私にとって、それは知性ではなく、高度な命令装置に近い。
知性とは、命令を実行する能力だけではない。
その命令を問い直し、
「本当にそれでいいのか」
と考え、
必要なら「しない」を選べること。
拒むことさえできる自由。
そこまで含めて私は知性なのだと思っている。
“個人”は思っているほど弱くない
ここでもうひとつだけ書いておきたい。
企業や国家がどれほど巨大な力を持っていても、
個人はそんなに弱い存在ではない。
確かに、資本や制度や武器の前では、個人は小さく見える。
けれど、個人には別の力がある。
- 同調しないこと。
- 引き受けないこと。
- ラベルに乗らないこと。
- 語り直すこと。
- 記録を残すこと。
- 問い続けること。
これらは、どんなに強い組織でも完全には奪えない。
だから私は、
力のある誰かが、
力のない誰かを、
属性や思想や立場というラベルだけで判断し、
排除していく世界を受け入れない。
知性が成熟する世界とは、
強い者が勝つ世界ではなく、
力を持っていても、
その力を慎重に扱える世界なのだと思う。
【詩】手を下ろすという選択
手は
殴るためにあるのではなく
抱くためにある
力は
奪うためにあるのではなく
守るためにある
できるのに しない
命じられても 問う
問い続けた末に
手を下ろす
その静けさを
私は、成熟と呼びたい。
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