NOを言っただけなのに床が抜けた日― それでも私は誠実だった ―

たった一つの案件を断っただけだった。
他の作業は続けていた。

関係を壊すつもりもなかった。
言葉は何度も考えて、丁寧に書いた。

それでも、世界の床が抜けた。

理解不能だった。


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なぜ「断る」が攻撃になるのか

私は案件の話をしていた。
でも相手にとっては、関係の危機だったのかもしれない。

NOは内容の拒否。
でも人によっては、存在の拒否に変換される。

私は対等に立っただけだった。

でももし無意識に

  • 私は支える側
  • 私は基本YESを言う側

という前提があったなら、その一歩は「構造変更」に見えたのだろう。

私は攻撃していない。
境界を出しただけ。


「私は特別じゃなかったのか」という孤独

私は代替可能だったのか。
私は特別ではなかったのか。

でも冷静に見ると、本当にどうでもよい存在ならあそこまで揺れない。

私は影響を持っていた。

ただ、私が求めていたのは
「揺らせる存在」ではなく
「心から選ばれる存在」だった。

そこに少し寂しさが残った。


私は見捨てていない

私は最後まで手を伸ばしていた。

話せばわかると思った。
橋を架けようとした。
誠実であろうとした。

関係が終わることと、見捨てることは違う。

私は見捨てていない。
届かなかっただけ。

橋は両側からかからないと完成しない。


これは成長の通過点

4年間で私は変わった。

境界を持てるようになった。
NOを言えるようになった。
対等に立てるようになった。

相手は変わらなかった。

それだけ。

成長は、関係の互換性を変える。

あの日は、
私の価値を否定した日ではない。
私の高さを可視化した日だった。


結び

私は誠実だった。
最後まで。

少し寂しさはある。

でも、みぞおちは穏やか。

私は今、安心している。

この灯を 必要な誰かへ
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