日本は法治国家だ。
罪を裁くのは、法律と裁判である。
にもかかわらず、近年あふれているのは「群衆による私刑」だ。
目次
不倫報道の異常
不倫は犯罪ではない。
民事上の争いにはなっても、刑罰は存在しない。
それでも報道は罪人のように扱い、外野は石を投げる。
──それは法を越えた暴力であり「異常」だ。
高校野球事件の異常
暴力行為があったなら、学校・教育委員会・警察が対応する。
処分として出場辞退が下された時点で、秩序は機能していたはずだ。
それでも外野は未成年を名指しし、顔を晒し、未来を奪った。
──それは教育でも正義でもなく、ただのリンチだ。
罪と私刑を切り分ける
たとえ誰かに非があったとしても、それを裁くのは法律である。
法を飛び越えて群衆が「処刑人」となることは許されない。
罪と私刑は別のものだ。
そして「罪を理由に私刑を正当化する」ことこそ、最大の暴力だ。
世界に広がる私刑の影
これは日本だけの問題ではない。
アメリカのキャンセル・カルチャー、韓国のネット炎上も同じ構造だ。
群衆の感情が法を超えて人を断罪する。
それは世界規模で広がる「異常」であり、だからこそ私はこの連鎖を断ち切らねばならない。
命を奪う私刑
私刑は言葉の暴力にとどまらない。
誹謗中傷の果てに、自ら命を絶った人がどれだけいるだろう。
私刑は、法治を壊すだけでなく、人の命を奪う。
──それは「正義」ではなく「殺人の連鎖」だ。
法治国家の原則
日本は法治国家を名乗る。
国民には裁きの権利はない。
批判の自由はあっても制裁の権利はない。
もし群衆が裁きを奪うなら、そこに残るのは無法国家だ。
宣言 ⚔️
私は宣言する。
私刑は「異常」である。
私刑は「犯罪」である。
私刑は「人の命を奪う。」
🗡️⛓️ この連鎖を、私は断つ。
私は、法治国家に生きる者として、私刑を拒絶する。
灯の光 🕯️
私は立派な言葉を並べられない。
ただ、信じて祈る。
どうかこの国が、世界が、法と秩序の光を失わずにいられますように。