痩せていると健康なの?|BMI・体型・身体の価値を問い直してみる

最近、身体についての言葉を見ていて、わからなくなった。

痩せているといいのだろうか。太っていると悪いのだろうか。そもそも「痩せている」とは、何と比べているのだろうか。

同じ身体でも、国が変われば小さく見えたり大きく見えたりする。
時代が変われば美しいとされる身体も変わる。
それなのにときどき身体の大きさに、まるで絶対的な意味があるように話されることがある。

不思議だ。

目次

痩せていると何がいいの?

痩せていると健康なのだろうか。
必ずしもそうではない。

細い身体にも健康上の問題は起こりうるし、大きな身体を見ただけでその人の健康状態すべてがわかるわけでもない。

もちろん、身体の状態によって健康上のリスクが高くなることはある。
それならその問題について考えればいい。

血圧に問題があるなら、血圧について。
血糖に問題があるなら、血糖について。
栄養状態に問題があるなら、栄養について。

でも「この身体は大きい」から「だらしない」「不潔だ」「自己管理ができていない」まで、本当にわかるのだろうか。

私にはわからない。

プラスサイズのモデルは「悪」なのだろうか

プラスサイズのモデルを見て「こういう身体を肯定するのはよくない」という言葉を見かけることがある。

けれど、ここでも私は少し立ち止まってしまう。
その人が、その身体で服を着ていることは「みんな、この身体になりましょう」という意味なのだろうか。

では、細いモデルが服を着ていたら「みんな、この身体になりましょう」という意味になるのだろうか。

プラスサイズのモデルが「悪」なら、とても細いパリコレモデルは「善」なのだろうか。

……そもそも、モデルの身体に善悪が必要なのだろうか。

いろいろな身体の人が、いろいろな服を着ている。
それだけではいけないのだろうか。

「健康が心配」と「その身体が嫌い」は同じ?

大きな身体について語るとき「健康が心配だから」という言葉が使われることもある。

健康について考えること自体は大切なことだと思う。
でも、健康が心配であることと、その身体を不快だと思うことは、同じなのだろうか。

ここは分けて考えたほうがいいように私は思う。

本当に健康上の問題があるなら、必要なケアを考える。
けれど「見た目が嫌い」「こんな身体にはなりたくない」という気持ちは医学とは別の話だ。

自分がその身体になりたくないことと、その身体で生きている人を否定することも、同じではない。

清潔さは体重からわかる?

これも時々わからなくなる。

大きな身体を見て「不潔そう」と言う人がいる。
でも、清潔かどうかは体重からわかるのだろうか。

お風呂に入っているか。
服を洗っているか。
歯を磨いているか。
そういうことと身体の大きさは別の話ではないだろうか。

なぜ、身体の形を見ただけでその人の生活や人格まで想像してしまうのだろう。

「自分がこうなったら生きていけない」

この言葉を見ると、私は苦しくなる。

他人を直接攻撃しているわけではない。
でも「この身体になったら、生きていけない」ということは、その人の中では、身体のサイズが生きる価値に近いところまで結びついているのかもしれないと思うから。

そんなに厳しい条件を、自分自身にも課しているのか?。

太ってはいけない。
老いてはいけない。
崩れてはいけない。

そうでなければ自分を許せない。

もしそうなら。
それは、とても苦しい世界ではないだろうか。

BMIは身体の価値を決める数字?

BMIという数字もある。
健康を考えるための指標のひとつとして、医療や公衆衛生では使われている。

でも、BMIは人間の価値を測る数字ではない。
健康のすべてを表す数字でもない。

それなのに、ときどき数字がそのまま「良い身体」「悪い身体」のように受け取られてしまう。

道具だったものが、いつの間にか成績表になる。

ここにも、不思議さを感じる。

身体はそもそも評価されるためにあるのだろうか

考えているうちに、問いはもっと根本的なところへ行く。

身体は、何のためにあるのだろう。
誰かから「きれい」と言われるためだろうか。

細いと認定されるためだろうか。
健康点を取るためだろうか。

たぶん、それより前に身体は、
呼吸する。
食べる。
眠る。
歩く。
触れる。
痛みを知らせる。
温かさを感じる。
声を出す。
世界に触れる。

身体は評価されるより先に、「生きている。」

Body Dignityという問い

私は、太った身体を「善」にしたいわけではない。
細い身体を「悪」にしたいわけでもない。

ただ、身体に善悪をつけることそのものをいったん疑ってみたい。

病気なら必要なケアを考える。
苦しさがあるならその苦しさを考える。
身体の状態によって助けが必要なら、助けを探す。

でもそれとは別に、身体の大きさだけを見て清潔さや人格や努力や、その人が堂々と生きていてよいかどうかまで、決めなくてもいいのではないだろうか。

私はまだ、Body Dignityについて考え始めたばかりだ。

ただ、これまで当たり前のように置かれていた身体の基準を見ながら、ひとつずつ聞いてみたい。

それは、本当にそうなんだろうか。」
「そもそも、身体に善悪をつけているのは誰、なんだろう?」

この灯を 必要な誰かへ
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