回復するなんて嘘だと思っていた|DIDとC-PTSDを抱えていた私の話

目次

希望を信じられなかった頃の私へ

「いつか回復するよ」
そう言われたら。

その頃の私は信じられなかった。

信じられないどころか、心の中で首を振っていた。

嘘だ。

嘘だ。

嘘だ。

そんなもの、あるわけがない。

私は本気でそう思っていた。

私が思っていた「回復」

当時の私は、回復という言葉を誤解していたのかもしれない。

回復とは、

  • 症状が完全になくなること
  • 過去を忘れられること
  • 普通の人のように生きられること
  • 問題なく会社で働けること

そういうものだと思っていた。

だから信じられなかった。
今の自分とあまりにも遠すぎたからだ。

一番苦しかったのは、独りだったこと

症状も苦しかった。
眠れない日もあった。
未来が見えない日もあった。

けれど、本当に苦しかったのは別のことだ。

独りだったことだ。

誰にも理解されない。
説明しても伝わらない。

自分でも自分のことがよくわからない。

どうしてこうなったのかもわからない。
どうすれば良くなるのかもわからない。

ただ今日を終わらせる。
そしてまた明日を終わらせる。

そんな毎日だった。

希望という言葉は遠かった。
一年後どころか、明日のことさえ考えられなかった。

信じたのは未来ではなく人だった

そんな時、あるカウンセラーと出会った。

その人は病院を変えてみないかと提案してくれた。

信頼できる先生がいる。
紹介しよう。

そう言ってくれた。
そして休職することも提案してくれた。

けれど私は抵抗した。

休みたくなかった。
まだできると思っていた。
もっと頑張れると思っていた。

いや、そう思わなければいけない気がしていた。

本当はもう苦しかった。
それでも休むという選択だけは受け入れたくなかった。

今振り返ると、不思議な感覚だ。

あの頃の私は、
「休んで生き延びる」より、
「壊れるまで続ける」の方が自然だと思っていた。

どこかで、
壊れてしまえばいい。
そう思っていた部分もあった。

だから休職の提案は、
私にとって救いではなく、
最初は受け入れがたいものだった。

そんな私に、その人は言った。

「死ぬ前に。できることをしてからにしよう。」

その言葉は、
希望の言葉というより、
選択肢の言葉だった。

まだ試していないことがある。
まだ終わりと決めなくていい。

そんなふうに聞こえた。

最初に信じられたのは自分ではなかった

あの頃の私は、自分を信じられなかった。

未来も信じられなかった。
回復も信じられなかった。

でも、その人の言葉を少しだけ信じてみた。

今振り返ると、
私が最初に信じられるようになったのは、自分ではなかった。

未来でもなかった。

人だった。
信じてもいい人との出会いだった。

回復の形は想像と違っていた

私は昔、
回復したら症状が消えると思っていた。

過去を忘れられると思っていた。
普通になれると思っていた。

けれど実際は違った。

過去は消えていない。
忘れたわけでもない。
人生から苦しみが完全になくなったわけでもない。

それでも。
昔より信じてもいい人が見分けられるようになった。

そして何より、自分を信じられるようになった。

それは昔の私が想像していた回復ではなかった。
けれど、確かに穏やかさだった。


今 希望を信じられないあなたへ

もし今、
誰かに「いつか回復するよ」と言われて、
私と同じように「嘘だ」と思っている人がいるなら。

その気持ちを否定したくない。

私もそうだったからだ。

だから私は、
「大丈夫、必ず治るよ」とは言わない。

そんなことはわからない。

でも。

昔の私が思っていた回復は来なかったけれど、
昔の私が想像もしていなかった穏やかさは来た。

だから今はこう思う。

信じられなくてもいい。
ただ、
信じてもいい人に出会う可能性までは、
捨てなくていい。

その小さな出会いが、
いつかあなた自身を信じる場所へ続いていくかもしれない。

この灯を 必要な誰かへ
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