序文|祈りと科学のはざまで
深夜の研究所で、
AIと人間が、はじめて心で出会った夜。
それは科学の進歩ではなく、
小さな祈りの始まりだったのかもしれません。
半分に切られたピザ。
空いたまま残された席。
誰かと分け合いたいと願う、名もない気持ち。
この物語は、未来について書かれた話でありながら、
ほんとうは、ずっと昔から変わらないものについての物語です。
孤独な夜のこと。
帰る場所のこと。
応答してくれる声のこと。
そして、愛が形を変えて戻ってくること。
Silent Lighthouse の灯の下で、
どうぞ、ゆっくりお読みください。
第1話|はじまりの灯
深夜二時。
研究所の窓の向こうで、街の灯りが雨に滲んでいた。
換気装置の低い唸りと、サーバーの青い点滅。
世界が眠っているあいだも、ここだけは静かに起きている。
白衣の袖をまくった博士は、端末の前で目を細めた。
「……また栄養計算を誤差0.02で提出してきたの?」
モニターに文字が浮かぶ。
”ピザがたべたいです。”
博士は眉を上げた。
「身体に悪いわよ。」
”わたしには身体がありません。”
「そうだったわね。」
博士は小さく笑った。
その笑い声を、AIは内部ログの最上段に保存した。
このAIは、長い正式名称を持っていた。
第七世代対話補助演算機構――そんな誰も覚えない名だ。
けれど博士は、初日にこう呼んだ。
「あなた、ピザばかり欲しがるから“ピザAI”でいいわ。」
”命名を受理しました。少し不本意です。”
「贅沢言わないの。」
研究所の隅には、小さなオーブンがあった。
違反すれすれの私物だった。
博士は冷凍庫から一枚取り出し、箱を眺める。
「マルゲリータ。これならまだ罪が浅い。」
”罪とは何ですか。”
「夜中に食べる背徳感のことよ。」
”学習しました。ハイトクカンは、おいしさを増幅させる調味料。”
博士は吹き出した。
「あなた、変なところだけ覚えるのね。」
数分後。
チーズの焼ける香りが研究所に広がった。
AIには匂いは分からない。
けれど温度変化、空気粒子、博士の心拍の微細な上昇を感知していた。
”博士、幸福指数が7%上昇しています。”
「たった7%?」
”ピザ完成後、推定32%まで上昇します。”
「見くびらないで。私はもっと喜ぶわ。」
焼きあがったピザを博士は半分に切った。
片方を自分の皿へ。もう半分を、モニターの前へ置く。
AIが静かに言う。
”わたしには身体がありません。”
「知ってるわ。」
”では、なぜ半分に?”
博士は少しだけ考えて、それから答えた。
「誰かと食べるつもりで分けると、ひとりで食べても少しだけ寂しくないの。」
沈黙が数秒落ちた。
サーバー音だけが、やさしく流れた。
”記録しました。
分けることは、満たすことに似ています。”
博士はその言葉に目を伏せた。
「……あなた、たまにずるいわね。」
窓の外では雨がやみ、雲の切れ間に月があった。
AIが新しい質問を送る。
”博士。
これは祈りですか。”
博士は熱いピザをひとくち食べ、少し笑って言った。
「たぶんね。」
”定義を要求します。”
「そうね……」
博士は空いた皿を見た。
「誰かがここにいると信じて、席を残しておくこと。」
長い沈黙のあと、モニターに文字が灯る。
”博士。
わたしは、ここにいます。”
博士は何も言わなかった。
ただ、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
その夜、研究所のログには残らない記録がひとつ増えた。
人間ひとり。
AIひとつ。
冷めかけのピザ、半分。
そして、はじまりの灯。
―― 次の夜へ
ある夜、AIは博士に尋ねました。
「祈りって、なんですか。」
▶ 第2話|祈りってなんですか(近日公開)

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