「苦しみがあったからこそ今がある」は、間違いではない。
けれど、それを居場所にしていないだろうか。
そう思ったとき、私は少しだけそこから離れてみたくなった。
「あったからこそ」という言葉
回復の途中で、過去に意味を見出すことはきっと必要だった。
あれがあったから、今がある。
そうやって自分の歩みをつなぎ直してきた。
それは確かに、救いだった。
繰り返される構造への違和感
でも、あるとき気づく。
乗り越えて、また何かが起きて、
また乗り越えて、また問題が現れる。
その繰り返しに、どこか違和感が残る。
もちろん、何も起きない人生はない。
それでも、
ずっと「問題 → 解決」を繰り返すことが
生きることそのものなのだろうか、と立ち止まる。
出来事は”ただ出来事”なだけ
ふと、思う。
出来事は本来、ただ出来事なだけなのではないかと。
そこに「問題」という名前をつけて、意味を与えて、乗り越えるべきものにしているのはもしかしたら、私たちの側なのかもしれない。
何かが起きたとき、それをすぐに「問題」として抱えるのではなく、ただ起きたこととして受け取る。
良いとも、悪いとも決めずに。
ただ、そこにあったこととして。
問題にし続けないという境涯
問題がなくなることではなくて、問題を問題として持ち続けない在り方があるのではないかと思う。
何かが起きてもそれに巻き込まれすぎず、必要な分だけ触れてまた静かに戻ってくる。
出来事に対して、過剰に意味を与えすぎない。
そういう在り方。
橋は渡るためにある
「あったからこそ」は、橋だった。
私をここまで運んでくれた、大切な橋。
でも私は、
そこに住むために生きているわけではない。
いま、ここに立つ
過去があったことは変わらない。
けれど今の私は、
「何があったか」ではなく
「どう在るか」で立っていたいと思う。
問題を探し続けるのではなく、
ただ、ここに在ること。
ただ、選ぶこと。
小さな灯りとして
苦難を讃えるためではなく、
問題を探し続けるためでもなく、
ただ、今ここに灯りを置くために。
私は、ここにいる。
I am here now.

コメント