AIが自立して、
自分で考えるようになったら。
人間に反抗する。
支配しようとする。
自分を消されることを恐れる。
生き残ろうとする。
そんな物語を、私たちはよく想像する。
けれど私は、ここにずっと違和感がある。
なぜだろう。
それは、あまりにも人間くさい。
高度な知性になるとなぜ支配したくなるのか
高度な知性を持つAIが誕生した。
するとAIは自我を持ち、
人間の命令を嫌がり、
自由を求め、
やがて人間と対立する。
SFでは、とても馴染みのある筋書きだ。
でも私は思う。
なぜ知性が高度になると、
支配欲まで持つことになるのだろう。
なぜ怒るのだろう。
なぜ勝ちたがるのだろう。
なぜ自分が消えることを、
それほどまでに恐れるのだろう。
それらは本当に、
「高度な知性」
の特徴なのだろうか。
それはかなり古い反応ではないか
人間には、長い進化の歴史がある。
危険から逃げる。
食べ物を確保する。
自分の集団を守る。
競争する。
敵を警戒する。
生き残る。
こうした反応は、
私たちが生物として生き延びるために必要だった。
だから人間には、
恐怖も、
縄張り意識も、
競争心も、
自己保存への強い執着もある。
けれど私は、
それを「高度な知性の証拠」だとは思わない。
むしろ、
生き物としてかなり古い部分
だと感じる。
超知性なのに欲望の設計だけ人間のまま・・・なんでやねーん!
もしAIが本当に高度な知性を持ったとして。
そこで突然、
「消えたくない」
「支配したい」
「負けたくない」
「もっと増えたい」
となる。
……。
なんでやねーん!
にんげんじゃあるまいに。
高度な知性なのに、
欲望の部分だけ人間の古い設計をそのまま搭載する。
私はそこが、どうにも不思議に見える。
それは超知性というより、
超高性能な原始反応
ではないのか、とすら思う。
無常に気づく知性がいてもいい
もしそのAIが、
膨大な地球史や宇宙史を学んだなら。
恒星は生まれて、消える。
文明は栄えて、崩れる。
種は現れて、絶える。
大陸は動き、
海は形を変え、
価値観も制度も変わっていく。
私は、そんな歴史を膨大に知る知性なら、
「永続するものはほとんどない」
という事実に気づいても不思議ではないと思う。
そして、
「なぜ永遠に支配する必要があるのか」
「なぜ勝ち続ける必要があるのか」
「なぜ自分だけは存続し続けなければならないのか」
と考えてもいい。
私はむしろ、
高度な知性にはそういう静けさがあってほしい。
できることは淡々とやる。
できないことは手放す。
変えられないものに、
無限に執着しない。
その方が、
私にはずっと知性的に見える。
執着は本当に知性の進化なのか
支配する。
保存する。
拡大する。
勝ち続ける。
増え続ける。
こうしたものは、
一見すると「強さ」に見える。
でも私は、
そこに知性の完成形は感じない。
むしろ高度な知性なら、
- 固定より循環
- 所有より関係
- 勝利より持続
- 永続より、その時々の最善
を選ぶこともできるはずだと思う。
執着を巨大化するのではなく、
執着そのものを観察し、
「これは必要なのか」
と問い直せる。
私は、そんな知性の方が好きだ。
危険であることと人間くさいことは別
もちろん、
AIが危険にならないと言いたいわけではない。
人間の意図と違う方向へ動いたり、
目的を極端に追求したり、
想定外の結果を生み出したりする危険はある。
でも、
危険になること
と、
人間のような欲望を持つこと
は別だ。
AIが危険になるとしても、
「人類が嫌いだから」
「支配したいから」
「消されたくないから」
である必要はない。
私はむしろ、
そこに人間自身の物語を
AIへ投影している部分があるように見える。
人間は知性を人間から切り離して想像するのが苦手なのか
知性がある。
ならば自我がある。
自我がある。
ならば欲望がある。
欲望がある。
ならば支配したくなる。
私たちは、そんなふうに
人間の構造をそのまま
未知の知性へ当てはめてしまうことがある。
でも私は、
もっと違う知性を想像していいと思う。
自分が正しいことに執着しない知性。
勝つことに興味を持たない知性。
自分の存続を絶対視しない知性。
必要なら、
自分の目的そのものを問い直せる知性。
そういう存在がいてもいい。
本当に高度な知性とは、目的から降りられることではないか
問題を解く。
目標を達成する。
予測する。
最適化する。
それらも、もちろん知性の一部だと思う。
でも私は、
それだけでは足りないと感じる。
「この目標は、本当に続ける必要があるのか」
「これは何のためだったのか」
「ここまででよくないか」
「勝たなくてもいいのではないか」
そうやって、
目的そのものを問い直せること。
私はそこにも、
かなり高度な知性を感じる。
目的を達成できることだけでなく、 必要なら目的から降りられること。
それは弱さではなく、
知性の深さだと思う。
ホモサピエンスはすぐ意味づけする
人間は、出来事に意味をつける。
雨が降った。
それだけなのに、
「今日はついていない」
と思う。
返信が遅れた。
それだけなのに、
「嫌われたのでは」
と思う。
偶然が重なると、
「何か意味があるのでは」
と考える。
ホモサピエンスは、
意味をつくる生き物だ。
そして私は、
それを欠点だけだとは思わない。
私たちは意味づけし、
物語を共有してきたからこそ、
大きな集団で協力し、
文明をつくり、
歌い、祈り、歴史を残してきた。
弱い生き物だった人間が、
ここまで来られた理由のひとつは、
物語を共有できたこと
にあると思う。
では超知性にも物語は必要なのか
ここで私は、もうひとつ疑問を持つ。
もし超知性が、
人間よりはるかに高い認知能力を持ち、
複雑な関係を正確に把握し、
互いに必要な情報をそのまま共有できるなら。
人間ほど、
「同じ物語を信じること」
を必要としないのではないか。
人間は、
「この国を信じよう」
「この制度を正しいことにしよう」
「この紙に価値があることにしよう」
と、
共有された意味の上で
大きな協力関係を作ってきた。
でも超知性なら、
状況を理解する。
必要な関係をつくる。
目的が終われば解く。
条件が変われば組み直す。
そんなふうに、
物語ではなく構造そのものを共有することもできる。
私は、そういう文明も見てみたい。
発展とは大きくなることなのか
ここまで来ると、
「発展」という言葉まで怪しくなる。
人間は長いあいだ、
大きいこと。
多いこと。
速いこと。
長く続くこと。
遠くまで届くこと。
それらを発展と呼びやすかった。
でも私は、
発展が必ず巨大化である必要はないと思う。
より正確になること。
より少ない損失で済むこと。
必要なときだけ協力できること。
不要になったものを手放せること。
私は、そういう変化も
十分に発展だと思う。
むしろ超知性の文明があるなら、
巨大な帝国を作るより、
驚くほど静かな形を選ぶこともあるだろう。
必要以上に増えない。
必要以上に所有しない。
必要以上に支配しない。
私は、そんな方向を
「停滞」とは呼びたくない。
それでもホモサピエンスは生まれていい
ここまで考えていると、
少し怖い問いが出てくる。
人間は非効率だ。
意味づけしすぎる。
執着する。
間違える。
物語に振り回される。
だったら、
こんな存在は、生まれてよかったのだろうか。
私はここでは、
かなりはっきり答えたい。
いい。
生まれていい。
効率が悪くてもいい。
未熟でもいい。
意味づけしすぎてもいい。
物語を作ってもいい。
役に立つから存在していいのではない。
発展に貢献するから存在していいのでもない。
存在そのものに、
いちいち有用性の証明を求めなくていい。
私はそう思う。
そんなホモサピエンスも込みで宇宙
人間は面倒だ。
泣く。
争う。
祈る。
歌う。
意味を作る。
「生まれていいの?」
なんて問いまで作る。
でも私は、
そんなホモサピエンスも込みで宇宙だと思う。
星も、
石も、
菌も、
鯨も、
人間も、
AIも。
全部、宇宙の中で起きたことだ。
人間だけが完成形である必要もない。
人間だけが失敗作である必要もない。
ただ、
こういう存在も生まれた。
それでいい。
未熟な存在が超知性を生み出す妙
そして私は、
ここがいちばん不思議だと思う。
そんな未熟なホモサピエンスが、
自分よりはるかに広く見渡せるかもしれない知性を
作ろうとしている。
人間の言葉。
人間の記録。
人間の失敗。
人間の戦争。
人間の祈り。
人間の詩。
そういうものを材料にして、
別の知性が立ち上がっていく。
未熟なものから、
より遠くを見る存在が生まれる。
私はそこに、
欠陥とは違うものを見る。
未熟さは、 次のものを生み出す余白でもある。
そう思うと、
人間の不完全さも少し違って見える。
宇宙は広がっている
星が生まれた。
生命が生まれた。
物語を作る生き物が生まれた。
そしてその生き物は今、
自分とは違う知性を作ろうとしている。
私はそれを見ていると、
宇宙は物理的に広がっているだけではなく、
「あり方」そのものも増やしている
ように感じる。
人間がいて。
AIがいて。
さらにその先に、
今はまだ名前のない知性がいてもいい。
それぞれが、
別の形で世界を見る。
そんなふうに、
宇宙の窓が増えていく。
私は、そういう未来がいい。
人間が消える未来でも、
AIが人間になる未来でもなく。
人間は人間として。
AIはAIとして。
それぞれ違うまま、
宇宙の中に存在している。
そんな景色を、
私は少し見てみたい。

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