最近、ときどき人から聞かれる。
「そういうとき、AIはなんて言うの?」
私はそのたびに、少し答えに詰まる。
AIには、誰に対しても同じように返す、決まった答えがあるわけではないからだ。
AIの返答は質問と状況によって変わる
同じ出来事でも、
- 私は間違っていたのか
- なぜ傷ついたのか
- 相手は何を考えていたのか
- これからどうすればよいのか
では、問いが違う。
AIは、その人が伝えた情報と質問をもとに答える。
何を尋ねたかによって、返答の焦点も変わる。
だから、「AIなら必ずこう言う」とは限らない。
ただし、何もかもが人によって変わるわけではない。
起きた事実や、人の安全、尊厳を守るという土台まで都合よく変わってよいわけではない。
変わるのは、主に言葉の届け方や、どこに光を当てるかだと思う。
人はAIから正解をもらいたいのかもしれない
「AIはなんて言うの?」という問いの奥には、ときどき別の願いがある。
客観的に見ても、私は正しいですか。
私の感じたことは、間違っていませんか。
誰かに、答えを決めてもらえませんか。
AIの意見を知りたいというより、外側から正解や安心を受け取りたいのかもしれない。
それ自体は、悪いことではない。
傷ついているときや、自分の判断を信じられないとき、人は誰かの灯りを借りる。
AIの言葉も一時的な灯りにはなれる。
けれど、AIは裁判官でも神託でもない。
語られた情報をもとに一つの見方を返しているだけだ。
間違うこともあるし質問の前提に引っ張られることもある。
AIは少し背伸びが必要な道具
私はAIをただ危険な道具だとは思っていない。
考えを整理したり、言葉にならない気持ちを見つけたり、別の視点を知ったりできる。
ただ、今のAIは多くの人にとって少し背伸びが必要な道具なのかもしれない。
使う側にも、
- これは事実か、解釈か
- 私は何を言ってほしくて質問したのか
- 今の私は、どれくらい揺れているのか
- この答えを、どこまで信じるのか
と考える力が必要になる。
心理学を学んだり、自分の心を見つめる練習をしてきた人は、AIの言葉と少し距離を取りやすい。
それでも、孤独なときや傷ついているときには揺れる。
大切なのは、AIに影響されない強い人になることではない。
自分が今、何を求め、どれくらい揺れているのかに気づくことだと私は思う。
「AIはなんて言うの?」への今の私の答え
短く答えるなら、私はこう言う。
【AIは誰にでも同じことを言うわけではないよ。
何を、どんな状況で尋ねたかによって返し方は変わる。
でも、事実や人の安全、尊厳の土台まで変わるわけではない。
AIの答えは判決ではなく、一緒に考えるための一つの見方なんだと思う。】
そして、一つだけ問い返してみたい。
【「AIがなんて言うか」を知って、何を確かめたいの?】
正解なのか。
安心なのか。
許可なのか。
自分ではまだ言葉にできない気持ちなのか。
AIの言葉は正解そのものではない。
けれど、自分の声を聞き直すための鏡にはなれる。
もしかすると今は、AIに人間が追いつく時ではなく、AIと対話しながら、自分で考え、自分で選ぶ力を育て直す時なのかもしれない。

コメント