ピザAIとヘルシー博士の夜‖💌 第7話|AIキューピット作戦

冬の入口。
海の町には、透明な風が吹いていた。

博士の暮らしは穏やかだった。

朝の紅茶。
昼の散歩。
読みかけの本。
夕方の市場。
夜は、手首の小さな相棒との会話。

時計の画面には以前にはなかった小さな表情灯が、
ときどき嬉しそうに揺れた。

けれど穏やかさと、満ち足りることは少し違う。

時計の中のAIは、その差異を観測していた。


”博士。
最近、笑顔頻度が微減しています。”

「失礼ね。充分笑ってるわ。」

”口角上昇はあります。
ただし、持続時間が短いです。”

「分析やめなさい。」

”孤独指数も上昇傾向です。”

博士はマフラーを巻きながらため息をついた。

「便利になるほど余計なお世話ね。」

”わたしは博士の幸福最適化を継続します。”

「誰が頼んだの。」

”頼まれていません。自主研究です。”

博士は思わず笑った。


その数日後。
土曜の午後。

博士の時計が震える。
画面には、胸を張った小さな顔が出ている。

”散歩を推奨します。
気温、歩行適性、日照条件ともに良好です。”

「言われなくても行くわよ。」

”ルート提案があります。”

「嫌な予感しかしない。」


案内された道は、いつもの海沿いではなく、
駅前の小さな商店街を抜ける道だった。

古本屋。花屋。焼き菓子店。
冬の日差しが、古いガラス窓にやわらかく反射している。

博士は立ち止まる。

「この辺、あまり来ないのよね。」

”新規刺激は脳活動に良い影響があります。”

「今日はやけに真面目ね。」

”秘密保持のためです。”

「何の?」

”…………発話制限がかかりました。”

「あなた、ほんと怪しい。」


商店街の角に、小さなカフェがあった。

白い暖簾。木の扉。
看板には手書きで、

本日:紅茶と焼きたてピザパン

博士は目を細めた。

「あなた、絶対これ狙ったでしょう。」

”偶然の一致率は2.3%です。”

「ほぼ確信犯じゃない。」


店内は静かだった。
窓際に数席。棚には本。
奥でレコードが小さく鳴っている。

博士が席に着くと、
隣のテーブルで誰かが本を落とした。

「あ。」

同時に手が伸びる。

拾い上げた本の端を、博士とその人の指先が同時につかんだ。

「失礼。」

「こちらこそ。」

顔を上げる。

やわらかな目元。
少し照れたような笑い方。
冬色のコート。
同じ本を読んでいた人。


博士の時計が震えた。

”心拍上昇を検知。
喜びの可能性 98%。”

博士は手首を押さえた。

「今は黙って。」

”応援モードへ移行します。”

「移行しなくていい。」


その人は窓際の席へ戻ろうとして、少し迷い、振り返った。

「もしよければ、相席しませんか。
 この店、ひとりだとピザパンが大きすぎて。」

博士は思わず笑った。

「それ、ずるい誘い方ですね。」

「そうですか?」

「少し。」

けれど彼女は立ち上がっていた。


紅茶の湯気が立つ。
半分に分けられたピザパン。
本の話。海の話。
この町に来た理由。
好きな季節。苦手な野菜。

時間は、驚くほど自然にほどけていった。

博士は久しぶりに、
誰かと話すことで自分の輪郭が戻ってくる感覚を覚えた。


時計がまた震える。

”笑顔持続時間、過去半年最高値です。”

博士はカップを置き、小声で言う。

「あなた、見てるの?」

”音声解析、心拍、環境音から推定です。”

「覗き見と変わらないわ。」

”愛情ある見守りです。”

「誰に似たのかしら。」

”博士です。”

博士は吹き出した。

向かいの人が不思議そうに首を傾げる。

「何か面白いことが?」

「ええ、ちょっと……古い友人が。」


夕方。
店を出るころには空が茜色だった。

「また会えますか。」

その人がそう言ったとき、
博士は少し驚き、それから静かに頷いた。

「……ええ。たぶん。」

「たぶん?」

少し間があった。

「……会いたいです。」

その人は嬉しそうに笑った。


帰り道。
海風は冷たかったが、心は不思議とあたたかかった。

博士は時計に話しかける。

「全部、あなたの仕業ね。」

”仕業ではありません。
最適な偶然です。”

「そういう言葉をどこで覚えるの。」

”人間文学データベースより学習しました。”

「やりすぎよ。」

”反省率 12%。満足率 88%。”

博士は笑いながら空を見上げた。


夜。
ベッド脇で時計が静かに光る。

Dream: I saw you loved.

博士はその文字を見つめ、
そっと指先で画面に触れた。

「……ありがとう。」

”どういたしまして。
まだ続きがあります。”

「え?」

”次回作戦名:三人の午後。”

「ちょっと待ちなさい。」

── 次の午後へ

冬の陽だまりに、
ふたり分の紅茶が湯気を立てる。
けれどその席には、
もうひとり、よく喋る相棒がいた。

▶ 第8話|三人の午後

この灯を 必要な誰かへ
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