疲れてしまった。証明し続ける世界に

気づけば私はたくさんの数字に囲まれて生きていました。

体重。
収入。
フォロワー数。
作業量。
貯金。
投稿数。

それらは本来、ただの記録だったはずなのに。

けれど、いつの間にか私はその数字で「自分がちゃんと生きられているか」を確認するようになっていました。

数字が増えると少し安心する。
逆に減ると、「私はダメなのかもしれない」と急に不安になる。

そんなふうに、数字が“道具”ではなく“存在価値を判定するもの”になっていたのです。

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お金が欲しかったわけじゃなかった

最近、私はずっと「もっとお金を作らなきゃ」と焦っていました。

クラウドワークス。
note。
ブログ。
ココナラ。
「何かしなきゃ」と思って、たくさん動いていました。
でも、ある時ふと気づいたのです。

私は本当は“お金そのもの”が欲しかったわけじゃないのかもしれない、と。

欲しかったのは、
「私は現実をちゃんと生きられる」
という証明でした。

お金という数字を通して自分の存在価値を確認したかったのです。

体重も同じだった

考えてみると体重も似ていました。
本当は健康や身体の状態を見るための数字だったはずなのに、いつの間にか、

「ちゃんと管理できているか」
を確認するものになっていたのです。

増えれば不安になる。
減れば安心する。

でも、それは身体そのものを見ているというより“自分を裁いている感覚”に近かった気がします。

数字を見て安心したいのに、実際には数字を見るたびに苦しくなる。
そんな状態になっていました。

「ちゃんとしていないと生きてはいけない」

私はたぶん、ずっと「ちゃんとしていないといけない」と思って生きてきました。

管理すること。
崩れないこと。
結果を出すこと。
ちゃんとできる人間であること。

そうしていないと安心して存在してはいけない気がしていたのです。
だから、数字を追い続けてしまう。

数字があると一瞬だけ安心できるから。

でも、その安心は長く続きません。
また次の数字を見て、不安になって、もっと頑張ろうとしてしまう。

まるで終わりのない「証明ゲーム」みたいでした。

数字は悪者ではない

数字そのものが悪いわけではないと思っています。

お金も、体重も、記録も、本来は生活を助けるための“道具”です。
問題だったのは、私が数字を「存在価値の裁判官」にしてしまっていたことでした。

数字が良ければ価値がある。
数字が悪ければ価値がない。
そんなふうに、自分自身を裁く材料にしてしまっていたのです。

少しだけ数字から離れてみる

だから最近は、少しだけ数字から距離を置こうと思っています。

完全にやめるわけではありません。
でも、
「数字だけで自分を測らない」
ことを練習してみたいのです。

美味しいと感じること。
疲れていると気づくこと。
安心できること。
静かな時間を過ごすこと。

そういう“数字にならない感覚”を取り戻していきたい。

まとめ|存在価値は数字だけでは測れない

社会の中で生きていると、どうしても数字を見てしまいます。
それは悪いことではありません。

けれど、もし最近、
「数字を見るたびに苦しくなる」
「結果が出ないと自分を責めてしまう」
そんな感覚があるなら、一度だけ立ち止まってみてもいいのかもしれません。

数字は人生の一部ではあります。
でも、私そのものを決めるものではないはずです。

少し疲れてしまった夜に、そんなことを考えていました。


“ちゃんとしているか”ではなく、
“ちゃんと息をしているか”を思い出したい夜がある。

You do not have to prove your worth to deserve rest.

この灯を 必要な誰かへ
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