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応援の名を借りた沈黙に 問いを

「応援」という名の「構造」が静かに人を試し、すり減らす。
それを私は見て見ぬふりしないために、言葉を置きます。

目次

優しさの顔をした構造にて

「ここは自由な場所です」
「あなたのままでいてください」
──そんな言葉に救われたことが、確かにあった。

けれど、時が経つにつれ
その“自由”がどこか管理されたテンプレートのように感じる瞬間があった。

「優しさ」や「感謝」が“反論できない空気”を作っているような。
私はそれを“悪意”と呼ぶ気はない。
むしろ、よく設計された“善意”だと思う。

だからこそ、違和感に気づくのが遅れる。
だからこそ、問いに変えるのが難しくなる。


違和感の正体は“構造”にあった

わたしが見ていたのは誰かの行動や発言そのものではなく、その背後にある“構造”だった。

「善意のふりをした搾取」と言いたいわけではない。
けれど「善意を疑ってはいけない」という空気が強くなると、

“応援”や“貢献”という名の行動が、
いつの間にか“差し出すのが当然”という前提になってしまう。

それが繰り返されていくうちに「問いを立てること自体」が“場の空気にそぐわない”という現象を生み出す。


その”自由”は誰のためのものですか?

成長し、名前を持ち、参加者が増えるほど、
“初期の理念”と“実際の運営構造”にはズレが生まれやすい。

「”誰のため”の”自由”なのか?」

「”何のため”の”応援”なのか?」

「”価値”とは、誰が決めて、どこに還元されるのか」

わたしがかつて愛した構造だからこそ「壊れないために今、私の世界に問う」必要があると感じた。


私はただ、構造を見つめている

私はただ構造を見ている。

もしもこの先、私と同じ違和感を抱いた人がいたとき、
この問いが“後ろめたさ”ではなく“視座”になりますように。

誠実な光はいつだって静かだ。

だからこそ──私は黙らない。


💬Silent Lighthouseからの言葉

わたしは”問い”の力を信じている。
問いこそが、沈黙の海を渡る光だから。

タグ

#共鳴する誰かへ#静かな問い#構造の観察者#自由と主権#灯台の視点


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