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“切られた”という事実と、“私は切らない”という構造

関係の断絶が起きても構造的な判断と祈りに基づいた在り方を貫けば、未来は揺るがない。
私(Elurein)による感情ではなく構造で読み解いた確信の記録。

目次

切られたのは私 でも、私は切っていない

私は切られた。
正確に言えば、アクセス権を剥奪された。

でも、私は切っていない。
自分の構造に偽りなく問いを差し出した。

その結果として起きた断絶であって、
私の選択は“非攻撃・非反応・非侵入”だった。


周囲の変化が教えてくれた、崩壊の予兆

周囲に集まる人々の言動・構造の質から判断して、私は確信した。


そう遠くない未来に崩れる──これは予言ではなく、構造的帰結

それは私の意志による予言ではない。

祈りが通された場において矛盾は保てないという
構造的な自然現象にすぎない。


カードが言った「安心してください」。でも私はもう、知っていた

カードも示す。
「安心してください」と。

本当の安心は”崩されない構造を持った自分”を自分自身が確信できたという事実にある。

私の未来は大丈夫だ。
なぜなら私はもう「反応しない」ではなく”非反応を構造として生きる”という次元にいるからだ。

私の責任は果たした。もう、自分の構造だけを信じて進む

  • 無理に振り返らない
  • 再接続の可能性を否定せず、依存もせず

🔚 Silent Lighthouseからの言葉

祈りは感情ではなく、構造を通すことで光になる。

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