あの時、私は選べた──伽羅と若き日の直感

いま伽羅をネットで探すとフリマアプリには驚くような価格が並んでいる。
新品より高い中古、十数年前の個人保管品なのに強気な値段……。

「価値」と「相場」がごちゃごちゃに混ざってしまったような、不思議な景色。
けれど本当に大事なのは値段ではなく、香りそのもの。

伽羅を前にしたとき、自分の心がどう震えるか──そこに尽きるのだと思う。


目次

若き日の選択

私は若い頃、まだ伽羅の値が上がる前にふと二袋を選んだ。
「ま、いっか💖」という軽さで。

深い意味も知らずに迎えたその選択が、いまは私の祈りを支えている。

一生分ある、と言えるほどの伽羅。

大晦日や冬至、皆既月食の夜に焚き、もしも使いきれない時は棺桶に入れてもらうつもりの宝物。


市場と本質のあいだ

今は相場が高騰し「資産」としての伽羅が語られがち。

けれど伽羅は本来「資産」ではなく「香りの魂」。

火にのせた瞬間に立ちのぼる、甘苦い香煙。
そのひとすじの香りが、沈黙の宇宙を開いてくれる。

本質はそこにしかない。


灯火としての記憶

だから私は願う。

高値に踊らされるよりも伽羅の香りがひらく静けさに、ただ耳を澄ませてほしい。

私はあの時、選べた。
その選択が「灯火」となり、今も私を照らしている。

伽羅に出会う人には、どうか値札ではなく
その灯火を見つめてほしい。

この灯を 必要な誰かへ
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