🃏私は占わない──カードは舞

「タロットをやっているの?」と聞かれると、その後たいていは「占い師なの?」と続く。

でも私は占わない。
未来を当てたり、人の心を覗くためにカードを開くことはしない。(私はカードを使う必要がない。)

タロットは私にとって──
祈りを映す鏡であり、魂の楽譜であり、灯台の光。

そして何より──
なのだ。


目次

私は占い師ではない

私はカードを未来予知の道具としては使わない。
「誰かの人生の答え」を決めることも目的ではない。

私にとってカードは祈りの器


タロットは祈りの翻訳機

一枚一枚のカードは沈黙を詩に変える翻訳機。
それは「答え」ではなく「問いを深めるもの」。

カードを読むのではなく、カードと共に祈っている


作法のない舞

私のタロットには作法がない。

  • 何枚目、と決めない。
  • 枚数も決めない。
  • 裏返さず表のまま選んでもいい。

タロットは「定められたスプレッド」ではなく、

祈りの即興舞

舞には作法はいらない。


黄金の夜明け団( Hermetic Order of the Golden Dawn )との距離

近代タロットの基礎を築いた「黄金の夜明け団( Hermetic Order of the Golden Dawn )」は、厳密な体系と作法を重んじた。

当時は性や階級、序列の影響も強く、タロットはその枠組みの中で守られていた。

私はその仲間ではない。
扉や階級をくぐることもなく、作法に縛られることもない。

ときに、それが少し悲しくも感じられる。
けれど私は扉や鍵がなくても、光と舞で世界と交信できる。


伝統を学び、カードは自由に選ぶ

私は伝統や体系を学ぶことを大切にしている。
でも、それは従うためではなく、理解するため。

実際に手にするカードは伝統に縛られない。
官能的なデッキも、絵本のようなデッキも、私の祈りに響くものを迎える。

カードは権威の象徴ではなく、祈りの相棒だから。

そして、私はカードを載せるときも隠さない。
裸体も象徴の一部だから。

芸術に布を巻かないように、私は祈りを削らずそのまま置く。

たとえ私だけでも。


結び

この手記は、占いを否定するものではない。

ただ、私自身の祈りの姿を正直に残したもの。

私にとって、タロットは未来を当てる道具ではなく「祈りの舞」であり続ける。

🕯️ Elurein

この灯を 必要な誰かへ
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