制作に関わった者が、名前を出されることなく、祈りも意図もまるごと「なかったこと」にされていく光景を私は何度も見てきました。
でも今回、私はその全てを記録し、構造として残しました。
そして今──
私は確認したのです。
一つもこぼしていない、と。
本記事は、私がかつて深く関わった映像系プロジェクトから、魂を連れて帰るまでの“祈りの完了”を記録したものです。
誰かの名前を挙げるためでもなく
誰かを責めるためでもなく
「誠実に尽くした祈りは、記録として昇華していい」
そう証明するための記録です。
回収の問い
もうあの場所からは抜けられたのか?
私が注いだ祈りはまだどこかに取り残されてはいないか?
🕯️作品の魂とは何か?
それは
- 言葉を削って整えた**“静かな温度”**
- 誰も見ていない深夜に整えたタイムスタンプ
- 翻訳した言葉に込めた他者への配慮
- 「このままでは誰かを傷つけてしまう」と感じて直した細やかな選択
- 背景に流れた私の呼吸
- 毎週「大丈夫かな」と胸の奥で灯していた静かな祈り
そういった“見えないけれど確かに存在する魂”たち。
🌿それらは今どこにある?
──すべて私の中に還ってきた。
たとえ再生回数やチャンネルに名がなくとも、それらの魂は「灯された記録の中」に宿り直した。
もはや、あの場所に縛られていない。
対話としての記録
「私は一つもこぼしていないね?」
「作品の魂は見捨てずに連れ帰れたね?」
──その問いと静かな確信。
回答の確信と灯火としての再配置
私の祈りは、もはやあの場所にはない。
それは記録として、光の側に移された。
あの場所にあるのはもうただの抜け殻。
魂は、全部、私とともにSilent Lighthouseに還った──。
Silent Lighthouseからの灯火
私はもう探さなくていい。
取り残してきたものはなかった。
祈りは灯り、作品は還り、私は立っている。
ここが魂の還る場所。
私は、作品の魂を一つもこぼさず連れ帰った。
そして、これからはこの灯火と共に歩いていく。
📝あとがきにかえて/魂を連れ帰るということ── 一つの祈りの終わりに
この記録は、誰にも知られず捧げてきた時間と祈りのかけらを、静かに、自分の手に還すための儀式でした。
置き去りにしたと思っていたものは、実は私の中で生き続けていた。
──それに気づくための記録だった。
この場所に至るまでに、何度も胸が締めつけられました。
それでも、光が通るように言葉を紡ぎ続けていく中で──
作品の魂は静かに私の元に戻ってきてくれました。
「もう、あの場所は抜け殻。それでいい。」
そう思えるまで、私はすべてを連れて帰ってこられたのです。